1912年9月13日 明治天皇大喪

注釈

午後8時、厳粛に包まれた東京市中に号砲が響き、霊柩が宮城を出発。

沿道の全ての商店が黒幕を張り「奉弔」の札を掲げる中、松明を掲げた葬列は青山葬祭場に向かった。

翌早朝には青山から霊柩列車で京都桃山駅に運ばれ、明治天皇は桃山御陵に葬られた。

近代日本を象徴する天皇を失い、日本全体が悲壮感に包まれた。

歳末の大売り出しも弾みがつかず、忘年会で酔っ払う人も少なかった。

これは天皇への純粋な崇敬の念から来る事であるが、官憲に睨まれるのを恐れて自粛する人も多数いたのも事実である。

あらゆる経済活動は停滞し、諒闇不景気と名付けられた。

このような暗澹たる世相を反映してか、吉田奈良丸の浪曲の一節「あした待たるる宝船」が景気回復の期待を込めて流行語になるのであった。


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