1922年7月7日 小野訓導事件
小野さつき訓導が着物のまま川に飛び込み、2人を助けあげたが、3人目を救出中に流れに飲み込まれ、帰らぬ人となった。
教師になってから3ヶ月しか経っていなかった中での悲劇であった。
小野訓導の殉職は、松本訓導事件同様に報道は過熱した。
教育者の犠牲の精神を賞賛され、全国から表彰状や弔慰金が届き、日本女性の誇り、生きた教材であると女性教師たちに訓示された。
また、小野訓導が生前アベマリアをよく口ずさんでいた事から、告別演奏会では三浦環が歌い上げるという演出もあった。
そして、松本訓導事件同様に映画が作られ、若い女性訓導の勇敢な行動が話題を呼んだ。
他方で、不幸な死者を利用して教師たちの責任観念を煽っているという冷静な声もあった。
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