1916年9月1日 工場法施行。日本初の労働法

注釈

第一次世界大戦の戦争景気により生糸や綿織物、科学・金属・機械などの近代産業は急速に発展した。

一方で、その担い手である労働者たちの権利は皆無で、特に女子や年少労働者の生活は悲惨であった。

労働者の環境改善は明治時代から課題であった。

だが、深夜残業禁止に対する反対は根強く、特に紡績業界は労働法案そのものを葬り去ろうとした。

そのような中、石原修博士が紡績女工の劣悪な労働実態を紹介し、労働法成立の機運が高まった。

そして、農商務官僚の岡実が粘り強く業界団体と交渉をし、労働者保護の観点から政府が介入して労働条件を制限する、日本初初の労働法成立にこぎつけた。

工場法は12歳以下の労働禁止、毎月2日の休日、女子と14歳未満の深夜労働禁止等、ある程度の労働環境改善を行おうとした。

また、労働災害の扶助制度を設け、工務上の死亡について賃金の170日分を遺族に対し扶助料として支給する事となった。

しかし、紡績業の昼夜二交代制、製糸業の14時間労働などの特例が設けられる等、法律自体に抜け穴が多かった。

ある工場では10歳未満の少年を賃金年一回で酷使するなど、労働環境の改善には長い時間を要する事になる。


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