1920年11月28日 マラソン大会で人力車夫がアマチュア規定違反で失格

注釈

東京駒場の農科大学運動場で行われたマラソン競技にて、1着から5着までの上位5選手が、人力車夫という職業を理由に失格処分となった。

大会を主催した大日本体育協会の規約では、参加者は品行方正にて脚力を用いることを業としない者に限るとあった。

これはまさに、人力車夫を狙い撃ちにするような規約であった。

これに油を注ぐ事件が、この年の4月に発生していた。

アントワープ五輪の国内予選に参加した車夫が、身分照会だけでなく犯罪歴まで調べ上げられていたのだ。

人力車夫の組合である車会党は、これらの不当な扱いに猛抗議した。

当時のアマチュア規定は、車夫をプロ扱いする一方で体育教師をアマチュア扱いにするなど、矛盾が糾弾されていた。

また、アントワープ五輪の代表選手が色街に通うのいかがわしい噂もあった為、新聞メディアは車夫たちに好意的であった。

しかし、大日本体育協会は車夫たちの抗議を突っぱね、車夫、牛乳配達人、魚売りを準職業競技者であるとして、一切の竸技会から締め出した。

車会党は粘り強く抵抗を続けるが、電車や地下鉄、自動車までもが街に登場するようになって、車夫という職業そのものが危機に追い込まれ、それどころではなくなってしまった。

結果、良家の子弟と車夫が一緒に競争するには教育上好ましくないとの結論に至り、日本のアマチュアリズムは歪んだものとなった。


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