1912年7月3日 大阪に通天閣・新世界誕生

注釈

1903年、大阪・今宮で内国勧業博覧会が開催された。

その跡地に、フランスのパリを模した一大歓楽街を作り出す構想が浮上した。

だが、大阪の財政難から、凱旋門を中心に放射状の道路を設ける構想は断念。

幾度の計画見直しを経て、パリのエッフェル塔と凱旋門を模した通天閣を中心とし、ニューヨークのコニーアイランドを手本としたルナパークと、ショッピング・飲食店街からなる、新世界と名付けられた歓楽街が完成した。

通天閣は当時日本最大の75mを誇り、日本で初めての客用エレベーターを設置。

展望台からは淡路島や六甲の山々を一望できた。

当時の大阪には高層建築物などなく、市内のどこからも通天閣が見れたという。

ルナパークにはスケート場や音楽ホール、美人探険館や豊臣秀吉のエレキ人形等がある、一大遊園地であった。

鳴り物入りで誕生した新世界であったが、思いの外客足が伸びなかった。

新世界一帯の店舗の経営は苦戦を強いられ、ルナパークも25年には閉鎖された。

そこに勢力を伸ばしたのが風俗産業であった。

次々撤退するテナントを埋めるように芸妓の寄席が入り、新世界一帯は健全な娯楽の街から怪しい風俗の街に様変わりした。


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