1918年8月16日 中等学校優勝野球大会中止

注釈

この日までに地方大会は終わり、代表校は既に大阪の鳴尾球場に入っていた。

だが、主催の朝日新聞社は、米騒動に対する非常な不安にある中で野球大会を開いて歓声をあげるのは忍び難いとの理由で中止を決定した。

その際、朝日新聞社は以下のように生徒たちを励ました。

「失望のうちに、より貴い教訓を抱いて郷里に変えるよう信じて疑いません」

なお、中等学校優勝野球大会(夏の甲子園)の中止は、米騒動が発生した1918年と、太平洋戦争を理由とする1941年から1945年、新型コロナウィルスのパンデミックを理由とする2020年だけである。


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