1922年11月5日 ルクソールの谷でツタンカーメン王墓発見
これをキッカケにカーナボン伯は発掘作業の大口出資者となり、カイロ博物館員ハワード・カーターとともに、ファラオが眠る王家の谷発掘に乗り出した。
当時、王家の谷はもう掘りつくされたと言われていた。
だが、カーターは古代王朝の歴史にも名前の記されていない幻の王、ツタンカーメンの肖像を見つけており、ツタンカーメンの王墓があることを確信していた。
「発掘に必要なのは忍耐力と想像力」と語るカーターは、発掘作業から5年の歳月を経たこの日、王家の谷で王家の封印がされた扉を発見した。
カーナボン卿も急遽駆けつけた中で行われた発掘の中で、ついにカーターは黄金の玉座と等身大の王像を発見した。
その品々にはツタンカーメンの名が記されていた。
3000年の間、眠りについていたツタンカーメンの存在がここに証明された。
しかも驚くべきことに、墓は盗掘の跡が見られたが、玄室は奇跡的に無傷であった。
カーターはこの日を「私が経験した最も素晴らしい日」とし、王のミイラとの対面について、以下のように語った。
「若々しいファラオが、ついに私たちの前に出現した。
名前のみをとどめたただの影であることをやめて、3000年以上を経たのち、現実と歴史の世界に再登場してきたのである」
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