1913年8月21日 東北帝国大学理学部が女性に門戸開放

注釈

黒田チカは幼い頃から勉強好きで、東京女子師範学校理科に進み、卒業後も研究生として理科の実験に勤しんでいた。

当時、女性は家庭に入るべきで大学進学は不要であると考えられ、慣例として大学生は男子に限られていた。

よって、大学に進んで高度な研究を行うことは出来なかった。

そんな折、東北帝国大学理学部が女性に門戸を開放した。

これを知った黒田チカ、牧田ラク、丹下ムネが受験し、合格した。

東北帝大は、受験した女学生たちの合格を文部省に通知していた。

文部省はこれを取り消すことも出来たが、彼女たちは聴講生であると勘違いしていたので、放置した。

これが大学入学と知って驚いたが、女性が大学に入学することは大学令に反しているわけでもなく、また事前に通知を受けていたので取り消すことも出来なかった。

こうして三人は東北帝国大学理学部に入学を果たした。

チカは入学後に天然色素の紫根の研究に没頭し、後に理化学研究所で色素分析の研究を続けた。

色素の研究をしていた為、肌に色移りしないように常に真っ黒な服装であったという。

1929年には日本由来植物の色素の研究論文によって女性理学博士となった。

晩年には玉ねぎの皮から高血圧の薬となるケルチンCを発見し、日本の化学界に大きな功績を残した。


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