1920年2月11日 松竹キネマ設立

注釈

この日、松竹が映画産業に参画した。

まず、松竹は俳優学校を創設し、劇作家の小山内薫を校長に招いて、俳優の育成に取り掛かった。

ここから伊藤大輔や奈良真養、南光明、澤村春子といった初期映画界の名優たちが卒業した。

次に、本社がある築地に近い蒲田の9000坪近い土地に撮影スタジオを建設し、映画製作の準備を整えた。

だが、松竹の関係者の誰もが映画を撮った事がない状況であり、素人同然の映画撮影所であった。

そこで映画製作の技術者を映画先進国アメリカから招聘することにした。

映画プロデューサーのセシル・デミルが松竹に推薦したのがカメラマンのヘンリー小谷である。

小谷は基礎的な撮影技術から最新の照明技術まで駆使し、それまで単なる明るい画面に過ぎなかった日本映画に、初めて鮮明さをもたらした。

日本の映画関係者が単なる背景を明るくするためのアイテムだと勘違いしていたレフ板の、正しい使い方を教授したという逸話もある。

こうして松竹キネマはハリウッド仕込みの最先端技術により、映画界に君臨することになった。

そして、次々と大ヒット映画を生み出す蒲田は、キネマの天地と呼ばれるようになった。


1920年の年表へ