1914年10月1日 二科美術展覧会開催

注釈

東京・上野竹の台陳列館で開催された美術展は、日本における新しい美術運動の始まりを告げるものであった。

明治末から大正初期に欧州から帰国した若手画家たちは、それまでの写実絵画に限界を感じ、文展に対し洋画部門の二科(一科は旧派、二科は新派)を作り、洋画に新しい画風を認めるよう求めた。

しかし、文部省はこの要求を受け入れなかった為に、文展が開かれる上野の地で、同時期に二科展の名で展覧会を開いた。

その展覧会規則には、同時に文部省の美術展覧会に出品してはいけないと記され、文展に対する対抗意識を露わにしていた。

第一回美術展では有島生馬の「鬼」や村山槐多の「庭園の少女」を始め、湯浅一郎や斎藤豊作の作品が展示された。

その中で受賞したのが十亀広太郎の「顔」と硲伊之助の「女の習作」であった。

以降、二科展は毎年のように開催され、ドランやピカソなどの海外の新進気鋭の作家を紹介するなどして、大正時代の美術に新しい風を送り込んだ。


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