1917年11月10日 山本唯三郎が朝鮮半島にて虎狩り。成金の登場

注釈

第一次世界大戦の長期化により、銅、生糸、汽船、綿糸、綿布、豆類、茶、米などの軍需品の輸出が拡大した。

これにより、海軍、鉱業、造船などの分野が戦争景気に沸いた。

戦争景気の規模は大きく、桁違いの儲けを出す実業家が登場した。

船を買い入れてチャーターを繰り返し、配当60割という実績を残した内田汽船の内田信也。

鉱山王と呼ばれた久原房之助。

台湾の樟脳・砂糖や英米の鉄を買い占めた鈴木商店。

そして材木輸出で財を成した山本唯三郎である。

これら成り上がりの実業家達を、将棋の歩が裏返ってト金となるように突如金持ちとなったという意味合いで、成金と呼ぶようになった。

成金は単に金持ちというだけでなく、遊び方も異常であったことでも知られる。

内田は宴会に出すお吸い物に生きた金魚やウグイスを入れて出したり、真綿を海老に見立てて天ぷらにして、さも車海老の天麩羅のように出したという逸話がある。

また、ある成金は、歯が悪いわけでもないのに、全部抜いて金歯にしたという。

山本もある宴会で玄関が暗いといって、札束をロウソク代わりにした。

これは成金の風刺画で有名なエピソードである。

もはや普通の遊びでは満足出来なくなった山本は、朝鮮に虎狩りに行き、虎大尽の異名をとった。

このような異常な成金が誕生する一方で、米価を始めとする物価は異常な高騰を続け、庶民の不満は募る一方であった。


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