1917年3月20日 理化学研究所設立

注釈

1913年に高峰譲吉が大規模な化学研究所を設立すべきと訴えて以来、国家的研究所の実現は動き始めていた。

第一次世界大戦、欧州戦線には重火砲・化学兵器・飛行機・潜水艦・戦車が登場し、近代科学技術の目覚ましい進歩を日本は目の当たりにした。

これに対し日本の科学技術の立ち遅れは歴然としており、化学研究所の設立に大きな推進力を与えた。

そうして国庫200万円と、財界からの寄付200万、皇室から下賜された100万円により、財団法人理化学研究所された。

総裁には伏見宮貞愛親王、所長には初代東大総長であり数学者の菊池大麓が就任。

化学界から鈴木梅太郎、桜井錠二、片山正夫、真島利行、物理学の長岡半太郎、西川正治、本多光太郎、喜多源逸ら錚々たる研究者を擁した。

しかし、国庫の支援は微々たるもので、理研は常に財政難に悩まされた。

これを解決したのが三代目所長を務めた大河内正敏である。

大河内は理研の発明を工業化し、その所有権売却や使用許諾料を財源化し、理研の基礎を築いた。


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