1914年10月1日 三越呉服店が新装開店
江戸時代から続く呉服店の系譜にある三越を百貨店に仕立てたのは、三井銀行本店の日比翁助取締役であった。
日比は三越の専務取締役に就任すると、サービスと宣伝こそ百貨店経営にとって最も重要なものとの考えの下、博文館の雑誌記者をしていた浜田四郎を引き抜き、三越宣伝部の中心に据えた。
更に帝国劇場のインテリアを手がけた、デザイナーの杉浦非水を迎え、アールヌーボー調の斬新な宣伝雑誌を世に送り出した。
この宣伝部布陣の下、浜田が考案した「今日は帝劇、明日は三越」のキャッチコピーが大流行する。
白亜の殿堂と呼ばれた帝国劇場で芝居や音楽を楽しんだ後は、欲しいものが何でも揃う三越で買い物するというのが庶民の憧れとなった。
ここに三越宣伝史は黄金時代を迎えたのであった。
この度の新装開店では、玄関前にライオン像を置かれ、大正博覧会でも話題になったエスカレーターを設置した。
三越はこれを「スエズ運河以東最大の建築」と喧伝した。
1914年の年表へ