1913年10月25日 石原修が紡績女工の労働実態と結核の関係を発表

注釈

当時、結核が最も蔓延していたのは、繊維工業の重労働に従事する女工たちの間であった。

衛生学者の石原はこの事実に着目し、女工たちの労働環境の実態を調査し、以下のようにまとめた。

まず、女工たちの労働環境は常に高温多湿であり、その極めて劣悪な労働環境下で1日16時間近く働かされ、休憩時間も20分程度しかない激務である。

それに加え、住環境は悪く、ろくな食事も取れずに栄養不良も著しい。

その結果、女工たちの7人に1人が結核に倒れ、殆どが2年以内に離職し、郷里の農村に戻る。

年間20万人の女工が生まれ、8万人が結核を患って2年以内に農村に帰り、農村に結核が蔓延するのだ。

石原は結核が女工たちの劣悪な生活・労働環境に原因があることを証明してみせた。

そして、女工の死亡率が同年代の女性の3倍に上る事実から、繊維工場が女工たちを殺しているとし、それを要約して両院に配布した。

石原の研究結果は紡績資本を怒らせた。

一方で、女工の労働実態への関心は高まり、後の労働関連法立法に寄与するのであった。


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