1924年1月18日 東京市営バス開業

注釈

それまで都市交通の主役は路面電車であったが、1923年の震災によって壊滅した。
交通機関復旧に迫られた東京市電気局は、米フォード社からトラックを輸入し、それを簡素なバスに改造。

巣鴨ー東京間と渋谷ー東京間の二系統のバス路線を作り、路面電車の代わりに走らせた。

新たな市民の足となったバスは限界を迎えていた路面電車の輸送力を補い、路面電車復旧後もそのまま都市交通として定着した。

バスは明治時代に人気のあった円太郎馬車にちなみ、円太郎の愛称で親しまれた。

フォードはこの動きを日本のモータリゼーションの曙と評した。

日本のモータリゼーションの発達を予想したフォードは、1925年に日本フォード社を創設し、横浜に自動車工場を建設。

フォードの目論見が当たり、瞬く間に日本フォードは拡大して行った。

これに続けとゼネラルモーターズも日本に進出を画策し、これに大阪が4年間の市税免除で応え、様々な便宜を与えた。

モータリゼーションの波は凄まじく、23年には1万台であった保有者数が、28年台には6万台を突破した。

その大半が東京市に集中し、東京は間も無く自動車の渋滞地獄を迎えることになる。


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