1913年3月1日 講談倶楽部にて高畠華宵が挿絵デビュー

注釈

大正浪漫の挿絵家として竹久夢二と並び称されるのが高畠華宵である。

高畠はアールヌーボーに影響を受けたシャープでモダンな画を得意としており、彼の描く三白眼で白面、中性的な美少女・美少年の挿絵は色彩、繊細さと相まって読者を魅了した。

また、高畠の描く女性の服装は、いずれも時代を先取りする多彩なデザインであり、大正時代のファッションリーダーでもあった。

華宵人気は高まり、講談社はついに殆どの雑誌の挿絵を高畠に任せるに至った。

1924年、高い画料が原因で講談社と絶縁し、少年倶楽部のライバル誌である日本少年に活動の舞台を移すと、読者が日本少年に大移動し、雑誌そのものの売り上げに影響したと言われた。

それほど人気を誇った作家であった。


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