1922年3月1日 「文明堂」が東京に進出

注釈

天正時代、長崎を訪れたポルトガル人宣教師は布教活動の中で南蛮菓子を伝えた。

小麦粉に砂糖と卵を入れ、卵白で膨らませた南蛮菓子は「カステラ」と名付けられた。

カステラは長崎では定番の菓子となったが、全国的には知名度は低かった。

中川安五郎が長崎で創業した文明堂は、カステラの全国的普及の機会を伺った。

そこで1914年、中川安五郎が創業した文明堂は、東京大正博覧会にカステラを出品し、「長崎名産文明堂のカステラ」と書かれた帽子を被って会場内で実演販売してみせた。

会場の評判に感触を得た中川は、カステラが売れると確信し、東京上野に進出して、三越呉服店で販売を開始した。

これが大盛況となり、文明堂のカステラは後に宮内省御用達となる。

なお文明堂といえば「カステラ一番、電話は二番」のCMで有名である。

これは、1937年に赤坂電話局開局に合わせ、その「2番」を購入するや、大々的に宣伝したものである。


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