1923年12月4日 香川県大田村伏石の小作争議で、小作側が共同で稲を刈り取って保管すると地主に通達
これに対し地主たちは申し出を拒否しただけでなく、逆に高松地裁に対し小作米の請求と財産差し押さえを強硬し、更に稲を仮押さえし、自由に刈り取れなくさせた。
季節は秋になり、稲刈り取り後に麦を撒く時期になり、困り果てた小作人たちは弁護士に相談した。
そこで弁護士は、稲刈り取り・麦蒔きは民法によって保証されており、それにかかった費用の支払いを地主が拒否した場合は、稲の引き渡しを拒否できる、と回答した。
そこで小作人たちは、地主に事前に通告した後に稲刈りを強行し、収穫完了を地主たちに通達した。
ところが、脱穀完了後、検事局が強制捜査を行い、小作人たち窃盗容疑で検挙され、弁護士も窃盗教唆で逮捕された。
そして、警察や検事は小作人を脅迫し、窃盗の自白を引き出した。
あまりの悪質な取り調べに、精神に変調をきたして自殺する小作人もいた。
このような禍根を残し、伏石の小作争議は長期にわたる法廷闘争に発展するのであった。
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