1914年1月13日 平塚らいてうが画家の奥村博史と同棲生活を開始
これが、らいてうを慕う女性や青踏誌上を巻き込んで大騒動を巻き起こした。
あまりの反響に奥村は以下の手紙を残して、らいてうとの別れを選択した。
後にらいてうは、この時の心境を以下のように語る。「静かな水鳥たちが仲良く遊んでいるところへ一羽のツバメが飛んできて平和を乱してしまった。
若いツバメは池の平和のために飛び去っていく」
「若い燕はこうしてしばらく私の目の前から消えることになりましたが、この時から若い燕という言葉が時の流行語になり、今なお生きているようです」
1914年の年表へ
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