1916年2月12日 茨城中学のプール完成

注釈

この日、在校生の大宅壮一や川端康成が校内運動場南に造営したプールに茨城川の水が引き込まれた。

大正天皇の御大典を祝して造られた日本初の校内プールであり、日本水泳史に刻まれる舞台である。

茨城中の体育教師であった杉本傳は、このプールで生徒たちにクロール泳法を伝授した。

クロールは長距離には不向きと考えられていたが、生徒たちはプールで鍛え上げられ、クロールで長距離を泳ぎ切る力を身に付けた。

間も無く、茨城中の生徒たちは日本記録を上回るタイムを次々叩き出した。

長距離をクロールで泳ぎ切る茨城中の生徒たちに世間は驚愕し、日本の記録は全て塗り替えられるだろうと評された。

そして茨城中は1920年に全校競泳大会で優勝を飾ったのを皮切りに、1923年の極東選手権大会には選手団の3分の1にあたる13人を送り出し、日本に勝利をもたらした。

ついには1924年のパリ五輪水泳選手団を杉本が率い、茨城中のOBである高石勝男、石田恒信が日本人初の入賞に輝くまでに至った。

こうして茨木中学校のプールは日本の水泳の歴史を塗り替え、日本近代水泳発祥の地として知られる事になる。


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