1913年12月13日 名画「モナリザ」がルーブル美術館に戻る
そのモナリザがルーブルから消えたのは1911年。
フランス国民はモナリザの盗難に驚いた。
新聞社は懸賞金を出し、オカルトや予言などを用いて犯人捜しに躍起になった。
次々と容疑者が挙げられて取り調べを受けたが、その中にはパウロ・ピカソの姿もあった。
しかし、容疑者はことごとく全員シロで有力情報もなくなり、フランス国民はモナリザの帰還を諦めるようになっていた。
1913年、突如としてイタリアのフィレンツェにモナリザが姿を現した。 犯人はイタリア人のヴィンチェンツォ・ペルッジア。
以前ルーブル美術館の修繕に携わったことのある装飾職人で、館内を熟知しており、休館日を狙って作業員に変装して犯行に及んだのであった。
なお、イタリア国内では、イタリア人のダヴィンチが描いたモナリザがイタリアに戻ってきたと歓迎し、ペルッジアを英雄視する声もあったという。
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