1916年11月9日 日蔭茶屋事件。大杉栄、刺される

注釈

アナキストにして文筆家の大杉栄は、堺利彦の妻の妹である保子と結婚していた。

その一方で、伊藤野枝や神近市子と愛人関係を続け、それをフリーラブと称していた。

フリーラブのルールは経済的な自立、別居生活、互いの自由尊重などであったが、経済的に自立していたのは、翻訳で生計を立てていた神近だけであった。

伊藤は大杉の下宿に転がり込み、その生活を神近が支えるという有様であり、関係の破綻は目に見えていた。

事件は神奈川県葉山の旅館、日蔭茶屋で起きる。

大杉が伊藤と日蔭茶屋にやってきた際、神近が突然乗り込んできた。

伊藤は気を悪くして先に帰り、大杉は神近と一夜を過ごすことになる。

だが、布団に潜り込んできた神近を大杉が拒絶したことで、嫉妬に狂う神近に刺された。

神近は其の足で派出所に自首し、重傷を負った大杉は病院に運ばれた。

国際的なアナキストである大杉を、女性記者として新しい女と称される神近が刺した。

この日蔭茶屋事件はセンセーションに報じられた。

新聞は「悪魔の恋」「唾棄すべき獣性の暴露」だと書きたて、大杉の政治活動に大打撃を与えた。

この事件がキッカケで大杉と神近の関係は終わり、神近は戦後、社会党から出馬し、衆議院議員として活躍する。

一方、伊藤は大杉の愛人の座を確固たるものにするが、後に関東大震災の際に悲劇が待っているのであった。


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