1915年3月25日 第12回衆議院総選挙で与党同志会が大勝
まず、選挙前に大浦兼武が農商務相から内相に転じた。
大浦は政友会系の地方官を大更迭し、その後釜に大浦系の内務官僚を滑り込ませることで、選挙戦に備えた。
大浦系内務官僚は警察力を以って政友会候補者の選挙活動を弾圧し、与党系候補の有利を形成してゆく。
次に、加藤高明外相の縁である三菱財閥から、桁違いの選挙資金が投入され、大規模な金権選挙となった。
そして大隈自身の国民的人気も与党系の後押しとなった。
この選挙で初めての試みとなったのは、現役閣僚が選挙目的で地方を遊説することであった。
大隈は遊説中の各駅で車窓から候補者を激励する演説したり、自身の演説をレコードに吹き込んで配布したりした。
政友会はこのような逆風の中で、党務に明るくない高橋是清が選挙対策を務めた事で、厳しい選挙戦を強いられた。
こうして政友会は結党以来初めて衆議院第一党の座を明け渡した。
1915年の年表へ