1916年5月29日 ラビンドラナート・タゴール来日
東洋人としては初めてノーベル文学賞を受賞すると、日本でタゴールブームが巻き起こった。
タゴール自身もインドを旅していた岡倉天心らと親交を結ぶ中で、日本の美意識や礼節を「東と西が相交叉せる国」と賞賛していた。
そして、世界平和の願いを込めて世界巡礼の旅に出ていた折に来日した。 上野寛永寺で開かれた歓迎式典には大隈首相ら政財界大物が出席した。
このような歓迎一色ではあったが、タゴールは西洋文明を模倣する日本に厳しい目を向けた。
かつて親交を深めた岡倉天心のような人物は日本になく、岡倉の真価を日本人は全然理解していない。
慶應大学の講演においては、日本が掲げる適者生存は、他人にどんな損失を与えようとも自分の好きな事をやるべきというものであると断じた。
そして、以下のように帝国主義傾向を批判した。
こうした耳の痛い発言に、タゴールは日本の近代化を否定する亡国の詩人であるという批判が起き、歓迎ムードは鳴りを潜めるようになる。「ひらすらに愛国心を礼賛させ、道徳的盲目さを養う国民は、やがて突然の死によって、その存在を終わるでありましょう」
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