1923年6月9日 有島武郎が波多野秋子と心中

注釈

有島武郎は白樺派を代表する人気作家であり、人間個性の成長の自由を追い求めていた。

自ら成長の自由を実践する為に、父から受け継いだ農場を小作人に解放し、財産を放棄してみせた。

しかし、期待した自己変革は起きず、矛盾に包まれた現実社会に絶望し、虚無感から死を渇望するようになっていた。

そして、当時恋愛関係にあった婦人公論記者・波多野秋子と心中を果たすのであった。

有島の遺書には、このように記してある。

「私たちは戯れつつある二人の小児に等しい。

私たちは最も自由に歓喜して死を迎える」


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