1923年3月10日 山野千枝子が丸ビルに丸の内美容院開業

注釈

山野千枝子は米ニューヨークの美容学校に通い、ブロードウェイで美容室を経営した経歴を持つ、最先端の美容師であった。

自身が修行した米国と比べ、日本の女性の美に対する遅れを痛感した山野は、丸ビルに美容院を開設し、日本の美容を牽引した。

当時の女性美容師は髪結いさんと呼ばれ、割烹着を着て、そのヘアスタイルも髷、桃割れ、銀杏返しなどの和風が殆どであった。

それに対し山野の美容院で働く女性たちは、洋服にヒール姿の洋装で統一した。

その設備もカーテン、大きな鏡、シャンプー台など全て洋風で揃え、頭にウェーブを作るマーセルウェーブ・アイロンは新聞に紹介される程であった。

女性の黒髪を縮毛にするのは何事だと右翼の壮士が押しかけてきたり、ショートヘアが世の中の風紀を乱すと批判されたが、女性には好評を得て。たちまち丸の内美容院は大盛況となった。

松竹の栗島すみ子、川田芳子ら女優御用達となり、廊下には中の様子を一目見ようと殺到する始末であった。

山野も、女性の社会進出のなかで、所謂職業婦人ら女性の美意識が高まりに応じる為、美容師の育成に励み、パーマ機の開発や美顔術、化粧品などを次々と世に送り出した。

中でも洗顔クリームを開発し、就寝前の洗顔を推奨したことは画期的であった。

当時の女性の化粧は、白粉を顔に塗るだけで、洗顔はあまり重要視されていなかったからである。

山野は常に女性の美容の最前線で活動し続け、女性の地位と意識の向上を推し進めた。

後には女性の美を世に広めようとファッションモデルの前身であるマネキンガールを世に送り出し、美容に新しい風を送り続けた。


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