1921年9月28日 安田財閥の安田善次郎刺殺
同時に吝嗇家として有名で、毎日黒パンと麦飯を食して倹約に励んでいた。
他方で、慈善事業に全く関心を示さない事から、金儲けを続けた守銭奴として批判を受けていた。
犯人の朝日平吾は、営利に没頭して国を省みない安田に一方的な憎悪を抱いて凶行に及び、自決した。
その遺書の中には、以下のように一人一殺のテロリズムを賛美する言葉が記されていた。
安田暗殺の号外が出ると、民衆は大馬鹿者が殺されたと歓喜し、朝日を義人扱いして告別式に駆けつける始末であった。「今の政治は富豪政治である。民衆政治でなければならぬ」
だが、安田は慈善事業に無関心どころか、東大の安田講堂や日比谷公会堂などに積極的に寄付していた事が後に判明する。
これは、安田が名声を得るために寄付しないという主義の持ち主であり、匿名で寄付していたからであった。
このように負のイメージを持つ政治家や財界人の暗殺が義挙であると持て囃される、テロリズムの黒雲が再び日本にかかろうとしていた。
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