1913年7月8日 島村抱月と松井須磨子が芸術座を設立

注釈

長野県に生まれた松井須磨子は、早くに実父と養父を失った為に上京し、二度の離婚を経験した。

その中で、芝居好きの夫の影響から演劇の世界に飛び込み、鼻の整形手術を受けるほどのめり込んだ。

坪内逍遥主宰の文芸協会の第1期研究生となると才能が一気に開花し、ハムレットのオフィーリア役、故郷のマグダ役を演じて、賞賛を浴びた。

特に1911年の「人形の家」のノラの熱演は評判を呼び、近代的な俳優養成を経た最初の女優として名を馳せ、新しい女と称されるようになる。

ところが、文芸協会所属当時、須磨子と演出家島村抱月の熱愛が発覚した。

島村は妻子がある身であり、二人は劇団の秩序を乱すものとして追放された。

そこで、島村と須磨子は二人して芸術座を立ち上げた。

それまでの評価は一転、須磨子はワガママ、ヒステリック、女優しかない女とのバッシングを受けることになる。

こうしたゴシップが客を呼んで芸術座は次々と公演をヒットさせた。

それまで歌舞伎の世界しか知らなかった人々に、歌舞伎と異なる世界の文化を伝えることに寄与したのである。


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