1919年9月29日 神戸・川崎造船所のサボタージュに対し、会社側が8時間労働性の導入を容認

注釈

日本の工業化により工場労働者が急増する一方、労働環境は劣悪なままに置かれた。

深夜までの長時間労働は常態化しており、休みも月に2度あればいい方であった。

ヴェルサイユ講和条約によって設置された国際労働機関は、労働時間を1日8時間、週48時間に制限する条約を採択した。

この中で、日本の長時間労働に対する批判が続出した。

これに対し、日本は自らを特別扱いということで批判を封じようとした。

だが、労働者は国際基準を守るよう資本家に要求し、ストやサボタージュといった労働争議が頻発した。

これを受けて神戸・川崎造船所は8時間労働制に切り替えた。

なお、大半の企業はこれに同調せず、8時間労働制や週休制は戦後の労働基準法まで実現しなかった。


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