1915年12月13日 早川雪洲主演の映画「チート」製作

注釈

千葉県の網元の家に生まれた早川は、海軍大将になることを夢見て海軍兵学校を受験しようとしたが、運悪く中耳炎にかかり、検査の結果不合格となってしまった。

失意から立ち直った早川は22歳にして単身渡米し、シカゴ大学で学生生活を送っていた。

当初、早川は俳優になろうとは思ってもなかった。

転機は、当時映画女優として名を馳せていた青木鶴子との出会いで訪れた。

青木の紹介で早川は映画の世界に飛び込み、1914年には映画「タイフーン」で日本人スパイを演じて大ヒットを記録。

「チート」では白人女性をいたぶる日本人金貸しを演じてみせた。

その内容から、在米日系人は国辱ものであると騒ぎ、日本では上映されることもなかった。

だが、早川の演技力は凄まじく、東洋的な美貌もあり、一躍ハリウッドの大スターとして知られるようになる。

1957年、早川は「戦場にかける橋」にて日本軍の捕虜収容所所長を熱演。

その演技が武士道を貫く姿であると賞賛され、アカデミー賞助演賞にノミネートされることになる。


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