1918年9月4日 寺内陸相が辞意を表明
物価指数は年を経つごとに2割近く上昇し、物価のバロメータである米価に至っては大戦前から2倍近くに暴騰していた。
これは米が投機対象となった為であるが、政府はこの物価高騰に対して有効な手段を打てなかった。
生活が困窮した労働者の間では、資本家に対して賃上げを要求し、ボイコットで要求を貫徹する労働争議が頻発するようになる。
社会情勢が悪化すると、所謂国民思想の不良も問題視され始めた。
寺内内閣の失政が明らかになりつつある中、寺内は健康問題とリンクし、政権を退く決意をした。
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