1912年7月15日 ジム・ソープが金メダルを獲得
スウェーデン国王グスタフ5世はソープを「最も偉大なアスリート」と絶賛。
アメリカ大統領ウィリアム・タフトも「米国市民最高の代表」と称した。
まさしく、キングオブアスリートである。
しかし、これはつかの間の栄光であった。
ソープはアマチュア規定に違反したとして、金メダルを剥奪されてしまったのだ。
1909年、ソープは当時のスポーツ選手の夏休み期間中アルバイトの一つであった野球チームの助っ人として、ノースカロライナリーグに出場し、1ヶ月で60ドル近く稼いでいた。
大抵のアスリートは球団に偽名で登録するのが常であったが、ソープは本名で登録していた。
これが原因でアマチュア規定違反を指摘される事になった。
金メダル剥奪後、ソープは大リーグ・ニューヨークジャイアンツに入団。
引退後は野球で稼いだ金を全てプロフットボール協会設立に費やしたが、採算が取れずに解散となった。
一文無しとなったソープは日雇いの港湾労働に従事し、没落の中で亡くなった。
彼の名誉が復活するのは1982年になってからであった。
1912年の年表へ