1918年7月1日 赤い鳥創刊

注釈

赤い鳥は作家の鈴木三重吉が創刊した児童文芸雑誌で、大正児童文学の先駆けである。

鈴木は創刊の辞において、世俗的な子供の読み物を排除し「子供の純性を保存開発する」為に、現代の一流芸術家たちの出現を迎えると宣言。

これに応え、芥川龍之介や有島武郎、島崎藤村、小川未明、北原白秋ら錚々たるメンバーが同誌に寄稿し、「蜘蛛の糸」や「杜子春」といった傑作童話が誕生している。

これら一流作家たちの童話を彩るのは、挿絵や表紙を担当した清水良雄のハイカラで明るい絵であった。

更に、赤い鳥は童謡の誕生にも大きく寄与した。

子供向けの歌は唱歌と呼ばれ、文部省指導の下で作られ、「紀元節」や「二宮金次郎」のような官製むき出しの歌も少なくなかった。

鈴木は官製の童謡に対抗し、子供本位の歌を作り出そうと児童文学運動を興した。

この運動には作曲家として山田耕筰や中山晋平が、作詞家としては北原白秋、三木露風、本居長世が参加。

「赤とんぼ」「からたちの花」「シャボン玉」「證誠寺の狸囃子」「赤い靴」「汽車ポッポ」など、後世に子供達に歌い継がれる名曲が誕生した。

このように赤い鳥は児童文学に多大な影響を与えたが、雑誌の値段が高価な事から、読者は中流階級以上に限られた。

中流階級以下の労働者や農民の子供達には無縁で、実際の生活とは隔絶した所にあった。

多くの子供達は赤い鳥の奏でる美しい夢よりも、鈴木が下卑たものと批判した大衆児童文学、つまりは冒険活劇が好きであったのだ。

このようなズレもあり、赤い鳥は昭和期に廃刊を余儀なくされた。


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