1918年3月7日 松下電気器具製作所創業

注釈

松下幸之助は電気に将来を見出していた。

技術を身につける為に大阪電灯の見習い工から出発し、1918年に電気機器販売のために製作所を創設した。

従業員は松下と妻むめの、むめのの弟で後に三洋電機を興す井植歳男、わずか三人であった。

この製作所から、松下考案の回転式アタッチメントプラグや自転車ランプが生まれ、これが大ヒットを記録した。

更に時代に乗ってラジオ、アイロン、扇風機、電灯と手広く事業を広げ、大成功を収め、会社を興すに至った。

松下が成功したのは、確固とした理念があったからである。

ある日、天理教を視察した松下は、以下のように自らの仕事を価値づけた。

「貧をなくするため、人間生活の維持向上に必要な物質を生産することもまた聖なる事業ではないか」

また、松下といえば、社員に訓示した以下の水道の哲学でも有名である。

「乞食が水道の水を盗み呑しても、誰も泥棒したとは思わない。

水道の水は価があるが、あまりに豊富だから。

生産者の使命は貴重な生活物資を水の如く無尽蔵たらしめることだ」

この哲学は、高度成長期の大衆消費時代を予見したといえよう。

米国タイム誌は松下幸之助をヘンリー・フォードを継ぐ人物と称した。

世界に誇れる技術者が誕生したのである。


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