1918年3月2日 田園都市株式会社設立

注釈

内務省は農村の荒廃と都市への人口集中を解消すべく、田園都市計画を立てた。

田園都市とは、都市と農村の魅力を兼ね備えた都市であり、英国のレッチワークが代表例である。

この田園都市計画に加わったのが渋沢栄一である。

レッチワークを視察した渋沢は、田畑の広がる長閑な農村であった多摩川洗足地域の用地買収に着手し、ここに田園都市を建設した。

鉄道駅を中心にゆったりとした道路が放射線状に伸び、公園、緑地ら公共地が2割を占める、緑溢れる町、現在の田園調布である。

田園調布の分譲は1923年から始まった。

当初はそこまで伸びはなかったが、関東大震災時に既に分譲していて住宅に一軒も被害が出なかったことが安全性の宣伝となり、人気が急騰した。

実業家や教授、貴族院議員、官吏、医師といった上流階級の人々が次々と購入し、田園調布は日本屈指の高級住宅街に様変わりしていった。


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