1913年12月29日 米ロサンゼルス郊外のハリウッドに映画撮影所が設立

注釈

当時、映画撮影に関する米国内の特許の殆どはトーマス・エジソンが所有していた。

エジソンは特許を盾に競合映画会社を次々と提訴。

エジソンの訴訟戦略に疲弊した他の大手映画会社はエジソンとのトラストを選択し、モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニーを設立し、軍門に下った。

こうしてエジソンは映画産業を独占し、映画界に君臨した。

一方、エジソンの荒っぽい手段に反発した中小映画会社は、エジソンの手が届かない西海岸ロサンゼルスの片田舎に移り住んだ。

同地は映画撮影に最適な天候であり、山や平野などが広がっていることから、あらゆるシチュエーションを撮影するのに最適な場所でもあった。

何より地価が低いことが、新鋭の映画人たちを惹きつけた。

映画プロデューサーのジェシー・ラスキーもその一人である。

ラスキーはセシル・デミルを監督に迎え、ハリウッド初となる長編映画「スコウ・マン」の撮影を開始した。

ここに金ピカの街、夢の工場、ハリウッドは動き始めたのである。


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