1913年2月11日 日本結核予防協会設立

注釈

1882年、ドイツの細菌学者にしてローベルト・コッホが結核菌を発見した。

これにより、別の病気とされていたものが、実は結核菌による病気であると判明し、ここに結核という恐ろしい病の存在が明らかになった。

結核菌は人から人へ伝染し、ゆっくりと着実に肺を犯し、咳や血痰が続き、最後には肺炎で死に至る不治の病(現在は治療可能)である。

日本では肺病や労咳の名前で恐れられていた。

明治時代には1〜2万人であった結核の死者は、大正時代になると10万人以上まで膨れ上がり、深刻な国民病となった。

樋口一葉や石川啄木、正岡子規、滝廉太郎、唐木田独歩ら文人・歌人が結核を患って若くして命を落としている。

しかし、日本の結核に対する対策は後手を踏み、公共の場所に痰壷を置き、そこに痰を吐く事を指示するだけの、おざなりなものであった。

そんな中、1908年にコッホが来日し、英独で結核が減少している理由を、結核への注意、衛生思想の発達、住宅事情の改善、療養所の増設だと指摘した。

これをキッカケとし、日本においても結核への国家的取り組みが行われるようになる。

その一環として、北里柴三郎ら私立の衛生会と民間の活動団体による日本結核予防協会設立した。

日本結核予防協会は結核への啓蒙活動のために、冊子を配ったり、展示会を開催したり、映画や劇を作った。

3月27日を結核予防デーとし、看護学生が街中に出て、結核予防の象徴としてスズランを手売りする姿が見られた。

ただし、こうした啓蒙活動に関わらず、結核は遺伝する病気であるとの誤謬が付きまった。

この為に、家族に結核患者がいる若者が結婚出来ないなどの社会問題も発生するのであった。


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