1915年9月15日 英軍がソンム戦線にマークI型戦車を投入
開戦時には飛行機は偵察機程度の扱いで、英仏独軍合わせて500機しなかかった。
そのうちに、偵察機を撃墜する戦闘機が現れ、それと戦うために戦闘機が改良され、それを繰り返していった結果、戦争を通じて20万もの飛行機が生産された。
機銃や爆撃技術も向上し、高度5000メートルから都市部を爆撃できる重爆撃機が登場した。
イーブルでは毒ガスが戦線に投入され、1万5千ものフランス軍兵士が倒れた。
国際法で毒ガス使用は禁じられていたが、毒ガスは貧者の兵器と呼ばれるほどコストが安く、間も無く英仏軍も使用し始める。
大戦中最も威力を発揮したのが火砲である。
フランスでは開戦時300門の火砲が5000門以上の装備となった。
砲弾消費数は英仏軍3億発、独軍が5億発。
戦死者の7割は砲弾によるものであり、肉挽き機と恐れられた。
ドイツに至っては射程120キロの長距離砲を作り、パリを砲撃してみせた。
海上ではUボートと言われるドイツの潜水艦が驚異的な活躍を見せていた。
ディーゼル機関の発達により潜水艦は兵装、航続力も向上しており、ドイツは戦闘艦の補助艦に過ぎなかった潜水艦を通商破壊に運用し、大戦中に数多くの商船を撃沈した。
そして、それら近代兵器の最終形として、ソンム戦線に塹壕を乗り越える戦車が登場した。
水槽と偽って運んだことからタンクと呼ばれた戦車は、当初こそ米国製トラクターを改造したもので時速6キロ程度のものであった。
だが、ドイツ軍に与えた心理的打撃は大きく、塹壕や鉄条網、銃弾をものともしない残酷で戦慄すべき兵器が登場したと恐慌状態に陥った。
イギリスは大戦中に2600台近くの戦車を生産し、全戦線に戦車が登場した。
このような大量殺戮兵器の生産を支えるために、各国は官民挙げての戦争協力体制を構築し、人類初の国家総力戦が現出した。
戦線は大量殺戮兵器の出現を前にして膠着した。
北海からスイスまで800キロもの塹壕が掘られ、西部戦線では敵味方の塹壕が15メートルしか離れていない地点もあった。
こうして第一次世界大戦は大規模かつ長期化するという、人類が体験した事のない、かつてない悲惨な大戦争となった。
1916年の年表へ