1914年2月1日 チャールズ・チャップリンが映画デビュー
父を早くに亡くし、極貧の中で、母アンナが場末の舞台で一家を支えていた。
ある日アンナが舞台で歌っていた最中、声が割れて観客の罵声を浴びた。
それを舞台袖で見ていたチャップリンは、舞台に飛び出して、見よう見まねで歌って踊ってみせた。
これが大絶賛を受けた。
5歳の時の逸話である
大人になったチャップリンは、兄と共に喜劇の名門カルノー一座に入団し、たちまち看板芸人になった。
チャップリンの転機は一座のアメリカ巡業の中で訪れる。
ある日、たまたま入った映画館で、大入りの観客を見て、チャップリンは映画の可能性は無限であり、これからの芸能は映画であると閃いた。
映画デビューを果たしたチャップリンは、短編のドタバタ劇を量産し、たちまち人気スターとなった。
チャップリンの演技が一線を画していたのは、その複雑な人間性にあったからだろう。
映画プロデューサーのマック・セネットはチャップリンについて、浮浪者かと思えば紳士、詩人であり夢想家であり孤独で、ロマンスと冒険を求め、それでいて自分では科学者、音楽家、公爵、ポロの選手のように考えてもらいたいと願っている、と語っている。
当初こそ喜劇を量産していたチャップリンであったが、次第に歴史や感情、世の中への批判を映画で表現するようになった。
宗教家や警官、移民管理官、軍人といった社会の権威を面白おかしく演じて、これを徹底的にこけころすことで社会を風刺した。
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