1912年7月14日 マラソン競技中に金栗四三が気絶

注釈

この年のストックホルムは酷暑に見舞われた。

炎天下の中で行われたマラソンは、ポルトガルのフランシスコ・ラザロ選手が脱水症状で死亡するほど過酷なレースとなった。

日本のエース・金栗四三は何とか先頭集団に食らいつくも、30km付近で日射病の為に民家の木陰に倒れ、気を失ってしまった。

ここに金栗のストックホルム五輪挑戦は終わった。

なお、この時、金栗は棄権ではなく行方不明扱いとなっていた。

1967年に再びストックホルムで五輪が行われた際、その記憶が掘り返され、金栗はなおも走り続けている扱いであることが判明した。

67年ストックホルム五輪の記念式典に招待された金栗は、場内に用意されたゴールテープを切り、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3で完走した。


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