1912年7月30日 明治天皇崩御

注釈

朝日新聞が天皇の重態を報道して以来、東京は自粛モードに包まれた。

東京両国の川開きの延期に始まり、花火大会は中止され、帝国劇場や歌舞伎座、浅草の活動写真館も休業した。

ラッパや半鐘の音も鳴りを潜め、宮城付近では電車の軋む音すら鳴らないように工夫された。

宮城前には天皇の回復を願う人々が朝から晩までひっきりなしに押しかけ、神仏に祈祷したり、お辞儀したり、泣いている者すらいた。

このような願いも虚しく、宮内省は以下のように公示した。

「今30日午前0時43分、心臓麻痺により崩御遊ばさる。恂に恐懼に至に堪えず」

天皇の死により、明治維新によって急速な近代化を成し遂げ、列強の一員となった輝かしい明治時代は終わりを告げた。

明治の文豪・夏目漱石は小説「こゝろ」の中で、これを端的に記した。

「明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました」


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