1924年6月21日 米ドーヴァルパーク競馬場でエクスターミネータ号が100戦目の出走

注釈

エクスターミネーターという名前は「皆殺し」を意味するが、文字通り他馬を蹴散らす競走成績を残した名馬である。

元々エクスターミネーターはサンブライアという有力馬の併せ馬として購入された。

気性が荒いことから去勢されたセン馬であり、下級戦からキャリアをスタートさせたが、レースを重ねる度に強くなっていった。

ついにはサンブライアより早く走るようになり、1918年のケンタッキーダービーには陣営はサンブライアではなくエクスターミネーターを代理として出走。

最低人気であったエクスターミネーターが優勝したから驚きである。

下級戦から賞金王を争うほどに成長したエクスターミネーターは、米国全土の競走場に現れるようになる。

時は第一次世界大戦の最中であり「皆殺し」の名を持つ馬が走る度に、新聞で話題になった。

なお、同時期最強として鳴らしたマンノウォーとの直接対決は、ついに実現しなかった。

戦争が終わった後もエクスターミネーターは重いハンデを背負いながら、10歳になるまで健気にタフに走り続けた。

その不恰好な様からオールドボーンズ(老骨)動くハンガー、毒物、オールドシャグ(オンボロ)などのあだ名で愛された。

この日、100戦目を無事走り終えたエクスターミネーターは、100戦50勝という圧倒的な成績で競走生活を終えた。

ステータス勝利数と獲得賞金は当時最多、背負った斤量は12580ポンド、全走行距離は125マイルという大記録を打ち立てた。

その様は戦争や禁酒を強いられたアメリカ人にとってアメリカンドリームそのものであり、熱狂的な支持を集めた。


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