1912年4月1日 吉本吉兵衛・せい夫妻が寄席経営を開始
若い二人には手元の資金などなく、全て借金で賄うという、無謀な挑戦であった。
ところで、当時の寄席の演目は落語が主流であり、落語の合間にモノマネ、曲芸師、琵琶、怪力、剣舞、義太夫、講談家などのイロモノを添えるスタイルが王道であった。
これに対し吉本夫妻はイロモノを中心とした構成を組み、相場の半額の入場料で挑んだ。
これが大阪の人々に受け、定員200名の寄席は連日満員。
天神祭となると、寄席に入りきれないほどの客が押し寄せた。
翌年に道頓堀に吉本興業を興すと、大阪市内の寄席を傘下に興行界に進出。
桂春団治などの実力派落語家を引き抜き、大正期を通じて全国に28の寄席を擁する笑いの世界の頂点に立つことになる。
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