1924年8月1日 甲子園球場竣工
地元関西勢の出場となるや、満員札止めを恐れた客が前夜からスタンドで寝泊まりをしたほどの大盛況であった。
このような観客増に対応する為、開催地は豊中グラウンドから鳴尾球場に移動したが、それでも観客席は手狭であった。
ついには観客席から溢れた観客がグラウンドになだれ込み、試合が中断するようなハプニングが発生した。
そこで阪神電鉄は武庫川の廃川跡に目をつけ、東洋一の大球場建設を計画した。
着工から僅か5ヶ月で収容観客数6万人の大球場が完成し、8月13日に開幕する野球大会の開催地となった。
この年は甲子であり、十干十二支の始まりであることから、縁起の良さもあって球場名は「甲子園」と名付けられた。
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